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密かに遊んでいますよ

最近忙しすぎてなかなか更新できなくてスミマセヌ。しかしながら、時間は少ないものの、しっかりとゲームはしてたりする。
今はチョコチョコと『水滸伝・天命の誓い』をプレイ中。あまり選んだことのない史進で順調にやっとります。

水滸伝・天命の誓い

お気に入りの雷横も義兄弟に。やっほう。

シナリオ1って大体こんな展開だよね。楊志がこんな風に東で広がって、林冲は39、武将が13、魯智深が15とかで旗揚げして25少華山の朱武が討伐されるのを引き金に西もグチャグチャになるという。
いつもはそれを見越して南で始めるんだけど、今回は北で遊ぼうと思ってこんなカンジなのだ。あとは20を獲れば梁山泊イベントで一気にカタがつきそうな段階。 ワクワクするな。
久しぶりにガッツリやってるけど、やっぱイイわ名作だわ。
もうすぐクリアなこの段階で、魯智深で 遊びたいなぁ初めッからやり直そうかなぁとか思っている。

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【水滸伝・天命の誓い】好漢となって悪を倒すピカレスク・ロマン

水滸伝・天命の誓いタイトル

水滸伝・天命の誓い

恨みを晴らすのが目的なので、統一する必要はない

『信長の野望・戦国群雄伝』が発売された時、俺はそれを買うのを控えていた。なんとなら、『水滸伝・天命の誓い』の発売がその次に控えていたからだ。
俺は『水滸伝』という物語が、鼻から脳味噌が垂れ流れてしまうほど好きだったから、悩んだ挙句、いわば鉄板の『戦国群雄伝』を避け、『天命の誓い』に期待し、それに賭けたのだ。しかし、期待しつつも、莫大な不安も抱えていた。『三国志』と違って、豪傑個人の活躍がメインのこの世界観を、どう再現できるというのか。その不安のおかげで「もう『戦国群雄伝』買っちゃえよ」とか俺の悪魔が囁きまくったが、ソレは出来ない、カネが無い、来年高校生になるガキだぜ俺ぁ、みたいな悶々とした3ヶ月を過ごしたのち、やっとこさこのゲームを手にしたのであった。
我慢した分、プレイ時に大興奮状態に陥った。すなわち、徹夜した。まぁ、それはいいや。とにかくプレイして、不安だったことは(だいたい)杞憂だったことを知り、胸を撫で下ろしたのである。
いや、ホント、今でも『水滸伝』好きじゃなくても、十分遊べるよ、コレ。
目的は天下統一ではないのである。国盗りはあくまで手段、目的は悪の権化の高キュウ(こうきゅう、キュウはニンベンに求)をぶっ飛ばすのが目的。そのためにプレイヤーは自分の“人気”というパラメータを上げ、最終的に皇帝から勅使を向かえたのち、晴れてボスのいる東京(とうけい、と読む)に攻め込むことが出来るようになるのであった。山賊風情が全土を領地にする必要がないのだ。

水滸伝天命の誓い

超楽しい戦争。コレは夏

そしてこのゲームの肝は、やっぱ戦争。妖術が使えたり、四季によってグラフィックとBGMが変わったり。そして川は、流れているのだ。“操舵”のスキルを持ってないヤツは、舟を持っていても、上陸に失敗して、ドンドン流されたりする。マップの外まで。オイオイ、どこいくねん!みたいな。
その他、随所にこれでもか、と『水滸伝』の世界観が再現されている。高キュウのユスリタカリとか、義兄弟とか。そしてそして、1127年になると、北から金が攻めてきて、中国大陸はみるみるヤツらに占領され、強制ゲームオーバーになるのだ。全てが水の泡に!このタイムリミットのお陰で、常に緊張してプレイしなければならないのだ。
そして、登場人物たちがよく喋る。疲れてるときに仕事をさせようとすると「イヤだ!」と言ってくるのだ。「人使いの荒い親分だこと」なんて使えない人物に言われたときにゃあ、ホントに腹が立つ。「テ、テメェ!誰に向かって口聞いてやがんだ!1年365日1日24時間働かせてやる!」などと言ってやりたい気分になる。ちなみに、光栄(現コーエー)のゲームでフキダシを表示して喋らせるのは、この『天命の誓い』が初(のはず)である。
そんなこんなで、『信長の野望・戦国群雄伝』への未練をスッパリ断ち切ってくれたこのゲーム、俺の中ではかなり評価高い。俺だけじゃなく一般的にも、光栄(現コーエー)のゲームでは最高、との呼び声も高いのだ。なぜ続編を作らんのだ、コーエーよ。


ゲームの楽しみ方(PCゲームに限らず)

北方謙三の『水滸伝』は面白い。このブログの趣旨では無いので詳細は省くが、男なら必ず読まなければならないと自信を持って言えるくらい面白い。
何故かと考えるに、原作の新訳ではないからだろう。一度、『水滸伝』という物語の全てをぶっ壊して再構築しているからだ。
主要人物のひとり青面獣楊志が序盤で死んだときは驚いた。これを皮切りに、原作では無敵の強さを誇る好漢たちが次々に死んでゆく。それも意味ある感動的な死ばかりだ。
その圧倒的な物語を読み進むうち、生粋のPCゲーマーたちは必ず『水滸伝・天命の誓い』か『水滸伝・天導一〇八星』がプレイしたくなるはず。そして、自分もモニター上で原作とは違う物語を紡ぎたくなるはずなのだ!
ゲーマーは、シミュレーションゲームを使って物語を語ることができるのだ。何にも束縛されない、自分だけの物語を。作家の先生方が文字を使って語るように。
それは十分にゲームをプレイし、楽しむ動機になりうる。
ゲームを楽しむのにシナリオはいらない、いいシステムだけでいいのだ。シナリオはプレイヤーにこそ作る権利がある。
昨今の日本のゲーム、特にコンシューマー機のRPGはここを間違えているのだと思う(断定すんな)。そして続編ばかりになり、RPGの意味を忘れていったのだ。その忘却はPCゲーム界にも蔓延し、今や遊ばれるRPGは海外製のものばかりとなり、そして衰退していった。
ゲームを自分だけの物語で楽しもう、そしてその物語をインターネットでリプレイ記事というかたちで公開しよう。その楽しみ方が浸透していけば、海外製のものに負けない国産ゲームが生まれてくるはずだと思う。